若い頃台湾の映画監督・侯孝賢の『童年往事』と『恋恋風塵』に感動させられて映画監督を志したという是枝裕和監督。侯孝賢は父親だとも言っていました。本当の父親は台湾生まれのいわゆる湾生。侯監督を前にして語られた言葉に、深く感動し、かつ敬服させられました。
年輕的時候被侯孝賢的《童年往事》和《戀戀風塵》深深感動,於是決定自己也拍電影的是枝裕和導演,他還說侯孝賢是我的父親。(他真正的父親是在台灣出生)是枝導演在侯導面前講的這些話,令人感動更是敬佩。
https://youtu.be/aqMjgdMhg-o
(インタビューは11分経過辺りから)
2020/11/23
是枝裕和監督、台湾の金馬奨受賞式でのインタビュー
2020/11/14
若夏がなれば、心浮かされて
若夏(わかなつぃ)がなれば
心(くくる)浮かされて
玉水におりて
頭(かしら)洗は
——玉城朝薫(1684-1734)
(訳)初夏になれば心は弾み、玉のような水の湧く泉へ行って髪を洗いましょう。
(中譯)
一到仲夏
心裡就會飄然起來
期待到時候去清澈如寶石的泉水
洗個頭
沖縄では水道のない時代、泉で髪や身体を洗うことはとても心地よい行為だったとか。でも秋から春にかけては水が冷たく、初夏の季節になってやっと入浴に行くことができるので、人々はその日を心待ちにしていたそうです。それはきっと、まるで(特に中華圏の人が)正月を楽しみにするかのように。人類も今、コロナを克服できる日をじっと待ち望んでいます。
這是一首古老的琉球詩。在沖繩沒有自來水的時代,到泉水洗頭和身體是一個非常舒服的行為。但冬天就不適合,等到仲夏的季節才能開始去洗。所以大家都很期待那個季節,就像期待過年一樣,也像現在全世界的人等待著能克服疫情的一天。
2020/10/25
台湾マラリア史についてのコラム
nippon.comのコラム、今回のテーマは台湾でかつて猛威をふるっていたマラリアの歴史です。数ヶ月前から台北や台湾南部の潮州、山間の町・六亀などへ取材したり、たくさんの人にご助力いただいて形になりました。
五里霧中のなかで生態研究のため命がけで原野で蚊を採集した医師たちや、治療薬キニーネの原料となる樹木キナをジャワから移植栽培した人々の苦労をしのぶとともに、それを詳しく記録してくれている台湾の方々に感謝を表したいと思います。
『疫病を乗り越えて:台湾が「最古の感染症」マラリアを克服した道』
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00967/
專欄『臺灣防疫初衷:克服「最早傳染病」瘧疾的心路歷程』,中文版網址:
https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00967/
2020/09/11
カダヤシを探して
日本でカダヤシ(蚊絶やし)、台湾で大肚魚(肚は腹の意)と呼ばれている魚を探しに台南郊外の沼沢地へ行ってきました。ボウフラを食べる肉食魚であることから、1911年、マラリア対策の一環としてハワイから船で移入され、途中50匹まで減ってしまったものの、その後繁殖に成功して全国の池や小川に放たれ、野生化しました。
五十代以上の人の中には、カダヤシを食べた事のある人も多いようです。子供のころお菓子を買えないときにおやつ代わりに食べていたとか。小川のほとりで、大きい缶詰の鉄の蓋を鍋代わりに、お婆さんの台所から持って来たサラダ油と醤油を垂らし、カダヤシを焼いて食べたそうです。映画のような情景ですね。
さて友人が教えてくれた場所には、ヤドカリやエビはいるものの小魚がおらず、いったんまき餌を買いに町に戻り、餌をまきまき観察するも梨のつぶて。雑草を刈り取っていたおじさんから、近くにある廟のそばでつい二、三年前にカダヤシを捕ってニンニクと一緒に炒めて食べたという話を聞き、該当の場所に移るもやはり見つからず。5、6人の地元住民に聞いても、昔はたくさんいた、カダヤシは美味いが、グッピーとの合いの子は肉が苦くておすすめできないなど、トリビアは得られたものの肝心のどこにいるかはわからずじまい。話さえ通じるならシラサギにも聞いてみたい、きっと一番くわしいのはかれだろうから。
最終的に、カダヤシを飼っているという友人の家にお邪魔して、撮影させてもらいました。それを魚の専門家にも見せたら、たしかにカダヤシだとのこと。ただしグッピーの血も混じっている可能性もあり。
いずれにしても、念願の魚にやっと会えて感激しきりです。アドバイスをくださった皆様に感謝。
昨天po了尋找「大肚魚」的事後,受到許多朋友們的建議或分享故事。
在屏東長大的林老師說:小時候沒有零用錢,就拿著牛奶罐的鐵蓋子當做煎鍋,去阿嬤的廚房A一些沙拉油及醬油,在小圳溝邊煎大肚魚,再加醬油做成紅燒大肚魚,很香又很好吃。
1911年為了抑制瘧蚊,從夏威夷坐船來到台灣的大肚魚,原來之後成為許多人的童年往事,如今卻變成罕見的魚。
今天早上8點多,到了四草魚塭裡。在當地朋友告訴我的水池中,我看見寄居蟹、小蝦子或較大型的魚,卻都沒有小魚的蹤影。
太太建議撒飼料,所以先撤退去安平釣具店買一包飼料,老闆建議去安平小炮台旁的水池看看,還是沒有,再回到四草,正在割草的大哥告訴我們大眾廟附近比較多,他才兩三年前在那邊捕了一些大肚魚,跟蒜頭一起炒。
然後到了大眾廟附近的水池,還是一直找不到。問過五,六位當地人,他們都說以前很多,味道不錯,甚至告訴我配孔雀魚的雜種味道很苦,純的大肚魚才好吃。也想問問魚塭裡的白鷺,可能最熟悉的是牠們吧!
但是我很幸運,一位朋友告訴我她有養好像大肚魚的小魚,到了傍晚,我拜訪她府上,然後拍了照片,傳送給魚的專家請求識別。結果,這幾隻小魚確實是大肚魚! 不過有可能也有孔雀魚的血統。
反正終於能夠見到大肚魚的面目,我高興極了! 有許多朋友們給我建議,才能讓我見到牠,以及長知識。衷心感謝!
2020/08/26
警察局主催の通訳養成講座に参加
台南市政府警察局が主催する「通訳人養成講座」に参加し、ベトナム、インドネシア、タイ出身の方々に混じって通訳者の倫理規範、法律や裁判所の基礎知識、DVや交通事故の事例などのお話を聴いてきました。最後にテストがあり、合格証書を取得。
今後もし台南で日本人が関係する事案が発生した際、日中だろうと真夜中だろうと、警察や裁判所からヘルプのお声がかかってくるとか。責任重大ですが、やり甲斐がありそうです。
以後如果發生有關日本人的案例時,不管白天或深夜,警察或法院會叫我過去幫忙。責任很大,但很有意義。
在回去的路上,經過「原台南地方法院」的時候,剛好看到一條巨大的彩虹從這棟日治時期的建築物上畫一個拱門。彷彿要跟我說,我也要當一條橋樑。
2020/08/08
コラム「日本統治時代の台湾医師・韓石泉が記録した台南大空襲の悲劇」
昨日紹介したnippon.comコラム「日本統治時代の台湾医師・韓石泉が記録した台南大空襲の悲劇」、日本語版も公開されました。ぜひご覧ください。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00906/
2020/08/07
專欄「日本統治時代 臺灣韓石泉醫師筆下的臺南大空襲」
コラム「日本統治時代の台湾医師・韓石泉が記録した台南大空襲の悲劇」の繁体字版が本日nippon.comで公開されました。日本語版も後日公開予定です。日本人が戦争に思いを馳せるこの時期に合わせてこの記事を書かせてくださった野嶋剛さん、取材に協力してくださった韓家の皆様に感謝。かつて台湾でもこんな悲劇があった事を、より多くの日本人に知っていただけたらと思います。
https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00906/
今天公開了nippon.com專欄「日本統治時代 臺灣韓石泉醫師筆下的臺南大空襲」,改天日文版也會公開。每年8月是日本人反省二次大戰的時期,希望這篇文章能讓更多日本人知道臺灣曾經經歷過這麼的災禍以及和平的珍貴性。非常感謝韓家家族的協助。
2020/07/31
2020/07/26
キナの木を探して/尋找金雞納樹(2)
巨竹……人の背丈ほどもある筍が採れ、しかも甘くて美味しいそう。1966年にアフリカ・マダガスカル島から初めて移植したと資料に記載されています。日本統治期にこの地で働いた上田弘一郎氏(のち京大名誉教授)は世界的な竹の研究者で、そのため竹との縁が深いようです。
黄藤……台湾でよく見かける藤(とう)編み家具の材料となる木。幹には固く鋭いトゲがびっしり。昔台湾の教師はこれで作った鞭で生徒を懲罰したと聞き、なんと恐ろしい、と思いきや、トゲはあらかじめ取り除いてあったとのこと。またその実は原住民の子供たちのおやつだったとか。一つかじってみましたが、酸っぱさに閉口。
コーヒーの木……台湾ではわりと色々な所で栽培されています。宝石のように赤く熟した実を収穫するのは11月ごろ。
台灣山茶……高地に自生する喬木で、お茶の中では唯一の台湾原産種。紅茶(発酵100%)や青茶(30~50%)として飲まれます。林先生が淹れてくださり、野性味のある深い味わいをおいしくいただきました。
跟著林老師一邊走各色各樣的蝴蝶飛來飛去的山路上,一邊聽老師講的有關種種植物的故事:
巨竹……竹筍長得像大人的身高一樣大,而且又甜又嫩。《回憶 時光流影:六龜林業老照片集》(農委會林試所出版)中記載,民國55年由林維治先生赴馬達加斯加考察時第一次引進。
黃藤……在台灣生活上常看到的藤椅原來是用這個做的。樹幹上長滿許多銳利的刺,聽老師說以前的老師用從黃藤製作的鞭子懲罰學生,我覺得很可怕,但老師補充說當然先把刺都削掉。還有以前它的果實是原住民小朋友的零食,我也咬了一口,很酸!
咖啡樹……台灣現在很多地方有栽培,11月左右收割成熟的果實,那時果實的顏色好像寶石一樣豔紅。
台灣山茶……高山中自生的喬木,在茶類中唯一的台灣原生種。做成紅茶(發酵100%)或青茶(30-50%)飲用。林老師說每一棵茶樹的味道不一樣,特別泡給我們喝,讓我們品嚐帶一點野生味的醇厚滋味。
2020/07/24
キナの木を探して/尋找金雞納樹(1)
日本統治期の1910年代には中央山脈の高地で栽培が試みられましたが、台風や霜により大半が枯れ死。1920年代になって京都帝国大学が高雄州六亀(標高約750メートル)でようやく栽培に成功し、1938年には72万本にまで増えました。
キナ栽培にどうしてそこまで心血が注がれたのでしょうか?それはこれがマラリア治療薬「キニーネ」の原料だったから。かつて長い間台湾ではマラリアが死亡率の一位を占めていました。台湾総督府はマラリア流行地域での採血―検査―陽性患者へのキニーネ投与治療を無償で大規模に行うなど、様々な施策を行い、1906年には人口1万人あたり35人を超えていたマラリア患者の死亡率が1930年には6.7人にまで下がったと記録されています。
四百年前から珍重されてきた「聖薬」キニーネを産するキナの木を見るべく訪れた高雄市六亀の扇平生態園区は、本来15人以上で事前申請しなければ入山できないのですが、今回は六亀研究センターに22年間勤めておられる林先生のご厚意で特別に案内していただきました。
1914年築の木造家屋の前に車を停め、林先生の先導で原住民パイワン族・ルカイ族風の平たい石を斜めに積み重ねた石垣に沿って森の中の小径を登ってゆくと、とうとうキナのご尊顔を拝しました。地球の裏側の山岳から四百年かけてはるばる太平洋に浮かぶ島まで旅をしてきた、そして計り知れない数の人命を救ってきた植物を目の前にして、感慨もひとしお。
ツヤツヤした大きな葉で、葉柄が赤っぽいのが特徴のアカキナノキ(Cinchona succirubra)です。更に進むと、同属のボリビアキナノキ(Cinchona ledgeriana Moens)もありました。葉が一回り小さくて、光沢もなく、林先生が教えてくれなければ同じキナ属とは信じられません。現在はこの二つの雑種も増えているそうです。
何種かあるキナ属の中で、キニーネの含有量はボリビアキナノキが格段に多く、かつてオランダ人がジャワでこれの栽培を始めたばかりのころ、蜂がキナノキの異種間交配をするのに気づいて、あわてて他種の花を摘み取ったという話もあります。
なお昔京都帝大の演習林だったこの土地には岡崎作業所・鳴海作業所・吉田作業所と呼ばれる作業場がありました。三河地方の出身者が多く住んでいたのかもしれません。
五枚目……『回憶 時光流影:六龜林業老照片集』より
六枚目…… 『人類五〇万年の闘い マラリア全史』(ソニア・シャー著、夏野徹也訳、太田出
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去山上尋找台灣極罕見的「金雞納樹」(規那樹)。它原本長在南美安地斯山脈海拔一千到三千公尺的森林裡。1630年代,天主教的宣教士把它帶回歐洲,後來由英國人移植印度,也由荷蘭人移植爪哇。
1871年來台灣傳教的甘為霖(William Campbell)牧師首次把金雞納樹引進台灣,在埔里種植。
日治初期(1910年代)官方推動在中央山脈的高地上栽植,但因受颱風或霜害大半枯死。
直到1920年代,京都帝國大學在高雄州六龜栽培成功,1938年栽植數量增加到72萬顆。
以前的人為何那麼努力栽植金雞納樹?因為它是瘧疾聖藥「奎寧」的原料。曾經在台灣,瘧疾是死因的第一位。日治時期醫療人員在流行地區透過大量的採血―檢查—免費投奎寧治療陽性患者。1906年瘧疾患者的死亡率是人口1萬人中35人,1930年就變成6.7人。
「1911年至1944年間施行的各項抗瘧措施,堪稱台灣防瘧史上極令人讚佩的艱鉅工作,亦是全世界在同一時期,刪減的防瘧計畫之一」(行政院衛生署編《臺灣撲瘧紀實》)
為了親眼看自從四百年前受到人類珍重的「聖藥」奎寧的原料「金雞納樹」參訪高雄六龜扇平生態園區,本來要事前申請而且需15人以上,但這次多虧在六龜研究中心工作22年的林老師的好意,特別讓我們進入。
車子停在1914年建的木造日式家屋前的廣場,跟著林老師走進森林裡的小徑,沿著一堵排灣族・凱族族風格的石板垣上坡,終於拜見到金雞納樹的尊顏。
曾經從地球背面兩千公尺的山岳上,花四百年的時間遠路旅行到太平洋上的這座島嶼,也解救過數不盡人命的植物就在眼前,感懷深刻。
先看到的是葉子大,表面有光澤,葉柄帶點紅色的大葉金雞納樹(又稱紅金雞納樹),再走一會,又看到小葉金雞納樹。它葉子較小,沒有光澤,如果沒有林老師的教學,不會覺得它們是同一屬植物。聽老師說現在也有雜種。
奎寧的含量大葉比不上小葉,據說以前荷蘭人在爪哇開始試種的時候,沒有注意到蜜蜂會把兩種交配,發現後很慌張的把所有大葉金雞納的花朵摘下來。
附帶說,過去這塊京都帝大演習林有岡崎作業所・鳴海作業所・吉田作業所。「岡崎」「鳴海」「吉田」都是現在的愛知縣三河地方的地名,也許當時有從那邊來的移民們。三河內陸的地形也是像這裡般的深谷高山。
2020/06/21
唐渡千紗さんコラム「絶望の過去を持つ国ルワンダの強さ」
「この国に数年住まわせてもらって見えてきたのは、1994年のあの絶望があればこそ、ここ(安定した秩序を保った国になるところ)まで来たということだ。あの頃には絶対に戻りたくない、戻らないのだという強い国民感情、それが現政権への確固たる信頼と支持、明日への希望へとつながっている。」
唐渡さんと私は小学校の同級生。小四のころ日々報道されていた虐殺のニュースは今も強く記憶に残っています。現在は、国民の大部分が貧しい暮らしを余儀なくされている中でも、アフリカ屈指の治安の良さを誇り、差別を感じた事もないとか。アフリカへの目を見開かせてくれる一篇、ぜひご覧ください。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00888/
2020/06/14
コラム「北極星がつないだ台湾先住民族と日蓮宗の日台宗教交流」
日本語版:https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00823/
繁體版:https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00823/
去年秋天阿美族藝術家拉黑子・達立夫老師在大阪進駐創作,我也幫了小小的忙。寫了一篇專欄「北極星連繫了臺灣原住民與日蓮宗的日臺宗教交流」。在我的襯衫上畫著的是沖繩傳統木造舟Sabani。
2020/06/02
專欄「穿著短褲和涼鞋的慢活人生」
(コラムへのリンク)https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00870/
日本語版トップページ:https://www.nippon.com/ja/
今天在nippon.com上公開了新的專欄「穿著短褲和涼鞋的慢活人生:連日本人也著迷的臺灣風格」。
“美味的文旦,要分辨出果肉結實多汁的秘訣在於外皮的皺褶。黃綠色的外皮有點枯乾、出現皺摺,外觀越是其貌不揚,實際上果肉吃起來香甜多汁。以前,筆者總是挑選外皮光滑油亮,看起來新鮮的文旦,所以無法遇到真正美味的文旦。臺南人也和美味的文旦相同,乍看之下平凡不起眼,但是內心卻溫潤甜美。”
2020/05/27
雑誌《聯合文學》のインタビュー
《聯合文學》という優れた雑誌にインタビュー記事を載せていただきました。
味つけがなんでも甘ったるいといわれる台南。「甘い台南」という特集で、私が紹介しているのはなぜか早朝から刺身や焼きサンマが食べられる路傍の和食屋さん。
“「甜」は日本語で「甘い」。この言葉は味の形容以外に優しい、おおらか、寛容といった意味を持っています。台南の「甘さ」は台南の人々の個性の象徴です。おおらかで、人に優しく、人に強くあたること少なく、暮らしの歩調がゆったりしている。これらは「甘い」という言葉で形容できる特徴です。そして台南で一番甘いもの、それは人々の自然な笑顔です。”
《聯合文學》2020年5月號(427期) 特輯「台南甜」
內容很有深度,值得永久保存! 我在「山記魚仔店」受訪說:
“甜的日語是甘い(a ma i)除了形容味覺的甜之外,也有溫柔、大方、寬容的意思,這些對於人個性的形容,台南的甜就代表台南人的個性,很大方,對人很溫柔,沒有那麼嚴格,生活步調緩慢,都是「甜」這個詞可以代表的,但最甜的是台南人的笑容,很自然。”
2020/05/22
2020/05/15
プロ野球観戦
今日の台南球場のカードは地元の統一ライオンズと中信兄弟、兄弟の先発は去年までソフトバンクに在籍していたキューバ出身のミランダ(米蘭達)。知っている選手が出てくると気分も上がる。初回に2ランホームランを打たれ、その後も毎回のようにランナーを出しながらも7回2失点の好投、でも味方が1点しかとれず敗戦投手に。
試合中、背後からゴォーッという音が近づいてきたかと思ったら、ごつい迷彩色の軍用輸送機?が球場の真上をかすめるように通過していった。近くに空軍基地があり、台南では毎日のように戦闘機が上空を飛んでいる。
2020/05/12
冒険家になった友人
約9年前在日本橫濱中華街,在民國一百年雙十國慶活動的現場認識的王伯任先生,當時在橫濱中華學院教書,沒想到他後來成為大旅行家,進行沒坐飛機的絲路之旅,目前在徒步環島的路上,昨天經過台南,重溫舊誼。
2020/04/29
下村作次郎先生にお会いする
約三十年來從事研究及翻譯台灣原住民文學的專家・下村作次郎教授前幾天來訪台南的國立台灣文學館,我雖短暫的時間,有見到他。我現在也要開始規劃某本以十七世紀的台南為舞台的長篇歷史小說,因此下村教授所翻譯的日文版作品,例如陳耀昌《傀儡花》、夏曼・藍波安《大海浮夢》等都會給我許多的啟發。
2020/04/15
2020/04/11
大林宣彦監督
知名電影導演大林宣彥先生去逝。他對於我而言是現代最重要的思想家。一直以來,對盲目的經濟發展主義敲警鐘,以他的故鄉—廣島縣尾道為舞台製作會使人思考:和平是什麼?幸福是什麼? 什麼樣的城市會讓人幸福?等等問題的電影作品。我以後也要重複的咀嚼他留下來的影片或文字作品,關於人、城市和幸福等問題思考下去。
2020/04/04
洞蕎麥の卒業式
在門口倒廚餘,洗廚餘桶,是一天的結束。
早上7點半出門到菜市場買菜,到了店裡穿上工作服就開始煮飯,製作蕎麥麵,熬柴魚高湯,切蔥,切雞肉,洗油炸鍋等等備料,11點開始營業,有時候在眼前排了好幾張點餐單,跟時間鬥爭,有時候失誤或等待太久要向客人道歉,但也有時候看到客人滿意的樣子,心裡得到安慰和鼓勵。14點打烊後就要把所有在營業中用過的東西洗乾淨,有時候還要做一次麵,去補貨,休息1〜2小時之後再開始備料,晚上從17點半營業到21點,再來洗碗盤和工具,打掃,確認庫存和訂貨,23點左右倒廚餘,拖著沾上油煙味的身體回家。我和太太這樣走過來接近5年,她的工作時間比我還長。明天(4月5日)是畢業典禮,好好珍惜最後一天!
玄関先で生ゴミを捨て、バケツを洗えば一日が終わる。
朝7時半に市場に出かけて野菜を買い、店に着いて作務衣を着たら米を炊き、蕎麦を作り、出汁を取り、葱を切り、鳥肉を切り、フライヤーを洗い等々して11時に開店、時にはずらりと並んだ注文票を前に時間と闘い、時にはミスをしたり待たせすぎたりしてお客さんにお詫びをし、また時にはお客さんの満足げな様子を見て慰められたり。14時に店を閉じてからは営業中に使用したあらゆる物を丹念に洗い、時にはもう一度蕎麦を作り、足りない食材を買いに行き、1〜2時間の休憩を挟んで再び準備、夜は17時半から21時まで営業し、その後再びあらゆる物を洗い、掃除し、食材の在庫をチェックして足りないのを注文し、23時ごろ残飯を捨て、油の匂いが染みついた身体を引きずるように家路に就く。私たち夫婦はこういう暮らしを5年ほど続けてきて、妻は私以上に長時間働いてきました。明日(4月5日)は卒業式。最後の一日を大切に過ごしたいと思います。
2020/03/18
北極星がつないだ台湾原住民と日蓮宗の寺
今天在nippon.com上公開一篇專欄《北極星連繫了臺灣原住民與日蓮宗的日臺宗教交流》。我以去年在「能勢妙見山」製作的木製雕刻裝置作品為主題,介紹阿美族藝術家拉黑子・達立夫老師的活動。
「兩個思想與價值觀相異的文化,並不爭論真偽或優劣,反而重視雙方的共通點,從中互相認可認識,建立良好的關係。我認為透過這樣的交流而完成的這個藝術計畫,在異國間的思想交流上是個很成功的實例。」
https://www.nippon.com/hk/japan-topics/g00823/
2020/03/15
「海の声」
越見不到你,思念變得越大
山河的低聲,恰似你的聲音
行きたいところへも思うように行けず、会いたい人にも会えない今、
みんながこんな気持ちでいることだろう。
想去的地方都不能去,想見的人又不能見的現在,可能全世界的人都抱著這樣的心情。
2020/02/28
台湾の賢明なコロナウイルス対策
人口約2350万人の台湾で、早ければ3月半ばには、日に1千万枚のマスクが生産可能になるとか。また台南の大きな酒造所をフル稼働させて、酒瓶に詰められた75%アルコール消毒液を日に12万本生産している。量産体制が整ったら、余剰分を外国にも回せるようになるかもしれない。マスクの海外発送厳禁令は当分(短くとも4月末まで)続き、故国に家族や大切な友人のいる在台外国人にとっては心苦しいだろうけれど、まっとうな措置だ。
「石橋を叩いて渡る」のと「危ない橋を渡る」のと、橋にさしかかった時どちらをとるべきだったのか、明らかになった時僕らはもう橋の上にいて、足元はぐらついている。こうなったら抜き足差し足で進んでいくしかないだろう。
2020/02/14
『昭和丙子臺灣屏東之旅』(銀聲舎)
ニュース記事はこちら:https://www.nwn.jp/news/200125_matsuo/
某日本和歌山人1936年赴屏東的遊記《昭和丙子臺灣屏東之旅》。這日記本來在民宅裡閒置八十幾年,去年年底由和歌山的非營利組織「銀聲舎」負責人松尾寛先生加上日英文的解說而翻印。除了觀光地、食物、與原住民交流之外,還有寫娼館、老鰻(黑道)等事情,相當有趣。

2020/02/12
頑張れよ見ている人は見ているよ
ぼくは野球の「楽しさ」を実際に打ったり投げたりしながらおぼえたけれど、野球の「面白さ」は野村氏の試合解説を通して学んだと思う。相手の細かな動きから心を見抜く、それはそのまま人間を学ぶことに繋がる。ずっと前からよくyoutube等で野村氏の過去の映像を捜して視ていて、よく唸らされたものだった。どうぞ安らかに。
昨天(2/11)逝世的日本職棒業重要人物野村克也先生曾寄給他的門生真中先生的手繪賀年卡,寫著「要加油,一定有人注視你!!」
我透過自己打球或投球的動作學會棒球的「快樂」,另一方面,透過聽野村先生的比賽解說學到棒球的「趣味」。由仔細觀察對手的動作而猜透他的心裡,這個過程直接連接到學習人性。我從以前常常在youtube上搜尋野村先生過去說話的影片,從他身上學到許多事情。祈禱冥福。

2020/01/12
74.9%という投票率
期日前投票の制度が無く、選挙当日に戸籍に記載されている地域で投票しなければならない中で、この数字は本当に驚嘆すべきもの。前に紹介したハワイ在住88歳の韓教授を含め、何百万という人々が、週末の大混雑をおして、様々な交通手段を駆使して、故郷に帰ってこられました。この「749」という数字は将来にわたって台湾人の金字塔になるでしょう。