2020/07/31

李登輝氏、7月30日逝去

台湾の民主化をその一手によって大きく前進させた巨人でした。
享年98、天寿を全うされたといえるでしょう。
安らかにお眠りください。

(早朝コンビニを回り各紙を集める)



2020/07/26

キナの木を探して/尋找金雞納樹(2)

 色とりどりの蝶が飛び交う山道を歩きながら、林先生はキナの他にもいろんな植物のエピソードを紹介してくれました。

巨竹……人の背丈ほどもある筍が採れ、しかも甘くて美味しいそう。1966年にアフリカ・マダガスカル島から初めて移植したと資料に記載されています。日本統治期にこの地で働いた上田弘一郎氏(のち京大名誉教授)は世界的な竹の研究者で、そのため竹との縁が深いようです。

黄藤……台湾でよく見かける藤(とう)編み家具の材料となる木。幹には固く鋭いトゲがびっしり。昔台湾の教師はこれで作った鞭で生徒を懲罰したと聞き、なんと恐ろしい、と思いきや、トゲはあらかじめ取り除いてあったとのこと。またその実は原住民の子供たちのおやつだったとか。一つかじってみましたが、酸っぱさに閉口。

コーヒーの木……台湾ではわりと色々な所で栽培されています。宝石のように赤く熟した実を収穫するのは11月ごろ。

台灣山茶……高地に自生する喬木で、お茶の中では唯一の台湾原産種。紅茶(発酵100%)や青茶(30~50%)として飲まれます。林先生が淹れてくださり、野性味のある深い味わいをおいしくいただきました。








  跟著林老師一邊走各色各樣的蝴蝶飛來飛去的山路上,一邊聽老師講的有關種種植物的故事:

巨竹……竹筍長得像大人的身高一樣大,而且又甜又嫩。《回憶 時光流影:六龜林業老照片集》(農委會林試所出版)中記載,民國55年由林維治先生赴馬達加斯加考察時第一次引進。

黃藤……在台灣生活上常看到的藤椅原來是用這個做的。樹幹上長滿許多銳利的刺,聽老師說以前的老師用從黃藤製作的鞭子懲罰學生,我覺得很可怕,但老師補充說當然先把刺都削掉。還有以前它的果實是原住民小朋友的零食,我也咬了一口,很酸!

咖啡樹……台灣現在很多地方有栽培,11月左右收割成熟的果實,那時果實的顏色好像寶石一樣豔紅。

台灣山茶……高山中自生的喬木,在茶類中唯一的台灣原生種。做成紅茶(發酵100%)或青茶(30-50%)飲用。林老師說每一棵茶樹的味道不一樣,特別泡給我們喝,讓我們品嚐帶一點野生味的醇厚滋味。

2020/07/24

キナの木を探して/尋找金雞納樹(1)

 極めて稀少な「キナ」という木をこの目で見るべく山に登ってきました。南米アンデス山脈の標高千から三千メートル地帯にへばりつくように生えていたこの植物を、1630年代にイエズス会の宣教師がヨーロッパへ持ち帰り、のちにイギリス人がインドに、オランダ人がジャワに移植し大量栽培しました。台湾へは19世紀後半ウイリアム・キャンベル牧師によって持ち込まれ、南投・埔里に植えられたのが最初の記録です。
  日本統治期の1910年代には中央山脈の高地で栽培が試みられましたが、台風や霜により大半が枯れ死。1920年代になって京都帝国大学が高雄州六亀(標高約750メートル)でようやく栽培に成功し、1938年には72万本にまで増えました。
 キナ栽培にどうしてそこまで心血が注がれたのでしょうか?それはこれがマラリア治療薬「キニーネ」の原料だったから。かつて長い間台湾ではマラリアが死亡率の一位を占めていました。台湾総督府はマラリア流行地域での採血―検査―陽性患者へのキニーネ投与治療を無償で大規模に行うなど、様々な施策を行い、1906年には人口1万人あたり35人を超えていたマラリア患者の死亡率が1930年には6.7人にまで下がったと記録されています。

 四百年前から珍重されてきた「聖薬」キニーネを産するキナの木を見るべく訪れた高雄市六亀の扇平生態園区は、本来15人以上で事前申請しなければ入山できないのですが、今回は六亀研究センターに22年間勤めておられる林先生のご厚意で特別に案内していただきました。
 1914年築の木造家屋の前に車を停め、林先生の先導で原住民パイワン族・ルカイ族風の平たい石を斜めに積み重ねた石垣に沿って森の中の小径を登ってゆくと、とうとうキナのご尊顔を拝しました。地球の裏側の山岳から四百年かけてはるばる太平洋に浮かぶ島まで旅をしてきた、そして計り知れない数の人命を救ってきた植物を目の前にして、感慨もひとしお。
 ツヤツヤした大きな葉で、葉柄が赤っぽいのが特徴のアカキナノキ(Cinchona succirubra)です。更に進むと、同属のボリビアキナノキ(Cinchona ledgeriana Moens)もありました。葉が一回り小さくて、光沢もなく、林先生が教えてくれなければ同じキナ属とは信じられません。現在はこの二つの雑種も増えているそうです。
 何種かあるキナ属の中で、キニーネの含有量はボリビアキナノキが格段に多く、かつてオランダ人がジャワでこれの栽培を始めたばかりのころ、蜂がキナノキの異種間交配をするのに気づいて、あわてて他種の花を摘み取ったという話もあります。
 なお昔京都帝大の演習林だったこの土地には岡崎作業所・鳴海作業所・吉田作業所と呼ばれる作業場がありました。三河地方の出身者が多く住んでいたのかもしれません。






五枚目……『回憶 時光流影:六龜林業老照片集』より
六枚目…… 『人類五〇万年の闘い マラリア全史』(ソニア・シャー著、夏野徹也訳、太田出版)より

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   去山上尋找台灣極罕見的「金雞納樹」(規那樹)。它原本長在南美安地斯山脈海拔一千到三千公尺的森林裡。1630年代,天主教的宣教士把它帶回歐洲,後來由英國人移植印度,也由荷蘭人移植爪哇。
  1871年來台灣傳教的甘為霖(William Campbell)牧師首次把金雞納樹引進台灣,在埔里種植。
  日治初期(1910年代)官方推動在中央山脈的高地上栽植,但因受颱風或霜害大半枯死。
  直到1920年代,京都帝國大學在高雄州六龜栽培成功,1938年栽植數量增加到72萬顆。
  以前的人為何那麼努力栽植金雞納樹?因為它是瘧疾聖藥「奎寧」的原料。曾經在台灣,瘧疾是死因的第一位。日治時期醫療人員在流行地區透過大量的採血―檢查—免費投奎寧治療陽性患者。1906年瘧疾患者的死亡率是人口1萬人中35人,1930年就變成6.7人。
  「1911年至1944年間施行的各項抗瘧措施,堪稱台灣防瘧史上極令人讚佩的艱鉅工作,亦是全世界在同一時期,刪減的防瘧計畫之一」(行政院衛生署編《臺灣撲瘧紀實》)
 

  為了親眼看自從四百年前受到人類珍重的「聖藥」奎寧的原料「金雞納樹」參訪高雄六龜扇平生態園區,本來要事前申請而且需15人以上,但這次多虧在六龜研究中心工作22年的林老師的好意,特別讓我們進入。
  車子停在1914年建的木造日式家屋前的廣場,跟著林老師走進森林裡的小徑,沿著一堵排灣族・凱族族風格的石板垣上坡,終於拜見到金雞納樹的尊顏。
  曾經從地球背面兩千公尺的山岳上,花四百年的時間遠路旅行到太平洋上的這座島嶼,也解救過數不盡人命的植物就在眼前,感懷深刻。
  先看到的是葉子大,表面有光澤,葉柄帶點紅色的大葉金雞納樹(又稱紅金雞納樹),再走一會,又看到小葉金雞納樹。它葉子較小,沒有光澤,如果沒有林老師的教學,不會覺得它們是同一屬植物。聽老師說現在也有雜種。
  奎寧的含量大葉比不上小葉,據說以前荷蘭人在爪哇開始試種的時候,沒有注意到蜜蜂會把兩種交配,發現後很慌張的把所有大葉金雞納的花朵摘下來。
  附帶說,過去這塊京都帝大演習林有岡崎作業所・鳴海作業所・吉田作業所。「岡崎」「鳴海」「吉田」都是現在的愛知縣三河地方的地名,也許當時有從那邊來的移民們。三河內陸的地形也是像這裡般的深谷高山。