19世紀末フィリピン独立運動の精神的支柱となったホセ・リサール博士(1861-96)。語学の天才で、文学、芸術にも傑出した才能を示し、はじめ農学を学び、母親が眼病をわずらったことから聖トマス大学で医学も収めて医者になった。少年時代、母親が無実の罪で逮捕されたことがある彼は、ヨーロッパ留学中、生活に困窮しながら、スペインの圧政を告発する小説『Noli Me Tángere』を書き上げた。日本にも二か月ほど滞在したことがあり、日本人女性と恋仲になった。マニラのサンチャゴ要塞にある記念館にはその人の肖像画が展示されている。スペインに敵視されるなかでフィリピンに帰国、「フィリピン同盟」という組織を準備する間に逮捕され、ミンダナオ島ダピタンへ流刑されると、その地で医療と教育に従事し、地質や動植物の研究も行った。軍医として召喚されキューバへ向かう途中、再び逮捕、マニラへ送還され、1896年12月30日、衆人環視のなか銃殺された。その場所は今、リサール公園として整備され、立派な記念碑が立っている。
訪れた時、数百ものフィリピンの学生たちがかわるがわるに記念写真を撮っていた。歴戦の武人などでなくこのように理知的な人物が、偉人の筆頭として敬愛されているのがここフィリピンだ。東京の日比谷公園にも1961年に建てられた像がある。
菲律賓獨立運動精神支柱的何塞・黎剎(Jose Rizal, 1861-96)博士是個語言天才,在文學與藝術方面也展現出卓越才華,最初學習農學,因母親罹患眼病,後來進入聖托馬斯大學修醫學,成為醫生。西班牙統治下的少年時代,母親因冤枉罪送去監獄2年,這段經歷對他影響深遠。留學歐洲期間,他在困苦的生活中完成了揭露西班牙殖民壓政的小說《Noli Me Tángere》。
他曾在日本停留兩個月,並與一位日本女性相戀。位於馬尼拉聖地牙哥要塞內的紀念館中,展示著她的肖像畫。在遭西班牙當局敵視的情況下,他仍返回菲律賓,籌備「菲律賓同盟」,遭到逮捕並被流放至達皮坦。在當地,從事醫療與教育,同時進行地質與動植物研究。其後被召為軍醫,前往古巴途中再次被抓,押回馬尼拉。1896年12月30日,在眾人注視下被槍決。
那行刑地如今為黎剎公園,我造訪時,數百名菲律賓學生們輪流在紀念碑前拍紀念照。他不是武人,是個一位如此理性的人物,卻被作為最偉大的民族英雄,我想這點象徵著菲利賓人的性格。此外,東京日比谷公園內也有一座他的銅像。



