現代世界が直面している議題の一つ、移民。
八重山・石垣島に暮らす玉木婆ちゃん88歳、かつて1947年に台湾で発生した228事件の渦中に夫と南投県の埔里から東海岸の蘇澳へ行き、更に「ヤミ船」で海を渡って命がけで石垣島へ渡った台湾移民だ。そこで初めはパイナップルを植え、後にそば屋を営み、多くの子孫に恵まれて今に至る。玉木という名字は彼女が帰化するときに亡き夫の名前「王木永」を元につけられたものだ。今台湾の映画館で上映中のドキュメンタリー『海の彼方』(中国語:海的彼端)は玉木婆ちゃんとその家族の物語である。
玉木婆ちゃんは7人の子に恵まれ、孫は27人、今は総勢40名の家族がいる。ある子供は青果店を営み、ある子供は和食の店をやっている。孫の慎吾は東京で沖縄出身の友人たちとロックバンドを結成し活動中。東京と沖縄とのギャップを日々意識する彼もまた「国内移民」といえる立場にある。
玉木婆ちゃんの米寿の祝いには慎吾を含め家族のほとんど全員が各地から石垣島に戻ってきた。レストラン北京飯店で開かれた、あたたかく賑やかでかつ心配りの行きとどいた誕生日パーティー。お婆ちゃん以外に台湾の言葉を話せる人は誰もいない。けれども彼ら家族間の団結の強さは、台湾人の血流を十分に示しているように思えた。
移民,是個全世界正在面對的議題之一。
住在八重山地方石垣島的玉木阿嬤88歲,曾經被捲入228事件的漩渦之中,和丈夫一起從埔里到蘇澳,再坐「闇船」(違法的船)三天兩夜到了石垣島。一 開始種鳳梨,後來經營麵店、在那裡紮下了根。她的姓玉木,是她歸化時把已去世的先生的名字「王木永」改下來取名的。現在在台灣各地上映的紀錄片《海的彼 端》是玉木阿嬤和她家族的故事。
玉木阿嬤生了七個孩子,現在有27個孫子,總共有40個家族。有的孩子開青果店,有的孩子開日本料理店,孫子慎吾在東京跟沖繩朋友們結成搖滾樂團,我想他也算是一種「國內移民」。
玉木阿嬤88歲生日時,幾乎所有的家族們從日本各地回到石垣島,慎吾也是其中一個。在餐廳舉辦一場很熱鬧又很用心的生日派對。雖然除了阿嬤之外沒有一個人會講台語,但是家族之間團結的緊密度十分表現台灣人的血流。
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