2015/06/06
そば紀行 対馬篇(1)
3月から4月にかけて、日本各地の郷土そばを食べ歩く旅に出た。いの一番に訪れたのは、対馬。当地のそばについて知っている人は少ないかもしれない。山本おさむ『そばもん』というコミックの単行本第三巻にそのエピソードが紹介されている。はるかな昔(二千~三千年前。時期は確定されていない)朝鮮半島から日本列島に植物としての蕎麦が対馬を経由して伝来した。その後本州その他の地域では品種の自然な変化や人為的な改良が進んでいったが、対馬では原種に近い蕎麦が今でも栽培されている、といった内容だった。ぼくもそれを読んでから、三千年前の蕎麦を味わうために、ぜひ訪れてみたいと思っていた。
深夜12時、フェリーちくし号が博多港を発った。対馬まではおよそ百三十キロの距離があり、フェリーは壱岐を経由して午前五時ごろに対馬へ着く。その後七時まで乗客は船内で待機していてもいいことになっていて、助かった。船を出て港に沿って歩き出す。風の冷たさが肌にしみる。三月初頭の対馬はまだ冬なのだろう。シアンに染まる港、無数の漁船、対岸の山々。陸橋を渡って厳原(いづはら)の町に入った。古い石垣が今も個人の家の塀として使われている。柳のしだれる水路の脇の石畳の小径を通ってホテル対馬へ着き、小休止。ほどなくして観光物産協会の西さんがいらっしゃった。西さんにはこの日お仕事中にもかかわらず、わざわざ私一人のために車まで出して半日間、対馬を案内していただいた。この後の行程のほとんどは、西さんの存在なしには実現できなかったことである。
かつて遣唐使の船が陸上を越えて向かいの浦へ渡った小船越、海に面して鳥居が立つ住吉神社(人々は船に乗って参拝に訪れたという)などに立ち寄ってから、烏帽子岳の山頂へ。眼下に望む浅茅(あそう)湾のギザギザした海岸線と大小の島々が織りなす風景はきわめて独特だ。陸地の大半は山と森が占めている。その向こうに広がるおだやかな海。遠い昔、防人もこのような風景を眺めていたことだろう。
入り江のほとりにある和多都美(わたづみ)神社は平安時代の律令細則『延喜式』にも記載されている古社で、彦火火出見尊と海神の娘・豊玉姫命の夫婦神が祀られている。海上に浮かぶ二つの鳥居に見とれた。「境内の奥が面白いんです」と言う西さんに連れられて目にしたのは、一筋の根が境内からまっすぐに伸びている松の木。ご神体は蛇だというが、この木もさながら蛇か龍のようだ。偶然の一致だという。(つづく)