先日大阪中央公会堂で行われた「私と私の台南」イベント会場に作品を出展したペーパーアーティストの成若涵さん。彼女が創作理念として寄せたエッセイを、許可を得て掲載します。
「創作理念―私と私の台南」
前回台南に幾日か滞在したのは、もう二年以上も前になります。
私は事あるごとに台南が大好きだと人に語っておりますが、かつてはもっぱらその歴史や古蹟、偉人や扁額といったものこそが台南の代表であり、それらを心に刻むのが台南に近づくことだと思っておりました。
けれども最近になって改めてこの古い町で過ごした日々の記憶の糸をたぐってみると、そこから浮かび上がるイメージはどれも、取るに足りないような小さな日常の一コマばかりであることに気づいたのです。
朝陽が直接射し込んでくる古い家屋はすぐに熱がこもり、私は年代物の木戸を押し開け、ややこり気味の腰を伸ばしました。
そのとき鼻孔をついたのは雞蛋糕(ベビーカステラ)の甘い香り。
この香りの源を突き止めるよりも早く、満面に微笑みを浮かべた女の子に視線が止まりました。
私は軽くお辞儀をして、微笑みながら彼女に「おはよう」と言い、同時に心の中で思いました。
或いはこれこそが台南の人情味かしら。見知らぬ人なのに、こんなにも距離が近い。
くねくねと曲がる細い路地に沿って歩いていると、両手の指を四角に合わせて私だけのキャンヴァスを作りたくなる衝動に駆られます。
その中に見えるのは赤い屋根瓦、オレンジ色のレンガの壁、緑の藤蔓、錆ついて深い色合いをたたえた自転車など。
子どもたちが無邪気に遊び戯れ、ためらわず水たまりに踏みこみ、飛沫をまきちらす光景を眺めていると、ふと子供の頃の無数の記憶が蘇ってきました。
お手玉を握りしめ、ケンケンパさえ遊んだことがなかった幼い私。
大きな樹の蔭でお爺ちゃんたちが将棋を指すのを見つめていたあの日の家族旅行。
とめどなく流れる想念を不意に断ち切ったのは、指の間に滴り始めたアイスキャンデーの雫。
急いでそれを舐め取って、手をパーの形に開いたから、幸い粘り気を感じるのも最小限で済みました。もう少しここに座っていましょう。暖かい風を頬に浴びながら。お尻が椅子から離れたがらないのです。目の前のシンプルな悦びに浸っている子供たちがいつまでも家に帰ろうとしないのと同じように。
街路灯が徐々にともり始めた頃、ほの暗い月色の地面を踏みながら、片屋根式アーケードの一隅にある店で、頭を上げれば月が目に入る小さな椅子に腰かけ、最愛の乾麵(汁なし麺)を頼みました。
或いはスピーディーでかつ無駄のない店員の動きをぼんやり見つめることや、隣客の世間話に聞き耳を立てること、それが最も平凡で、最も奥深い台南生活の醍醐味かもしれません。
この日、私は著名な店の経営者たちがそれぞれ煙立つ三本のお香を手に、列をなして馬公廟(唐代の将軍馬仁を祀る廟)へ詣で、事業の安泰と発展を祈る光景を初めて目にしました。
それで思い至ったのです。あらゆる街角、あらゆる曲がり角が神仏の加護を宿していること、また住民たちの自然や土地に対する依頼と敬意を宿していることに。
これが私の台南での生活模様です。
この町がもつ自在で穏やかなテンポが好きなのです。細水長流(細くどこまでも続く川の流れ)の愛と同じく、それだけがあれば十分です。
(執筆者:成若涵/翻訳:大洞敦史/イベント主催:台南市政府観光旅遊局/イベント実行:台南紅椅頭観光倶楽部)