マルヤン檳榔店に届いた本 by 馬路楊檳榔會社
昔の流行歌にある鉄板を飛び出したタイヤキさながらに、ぼくが東京から台南に来て二年半が経った。ぼくにここで生きていく上で必要なことを背中で示してくれたのは、主としてこの町で長い歳月を送ってきた年配の人たちだ。
見知らぬ人にも暖かいまなざしを向けること。小さな縁を大切にすること。どんな状況であれ、ゆったりかまえること。望む道をいく上で一芸に秀でることの重要さ。自分にも他人にも多くを望みすぎないこと。淡々とした日常の内に楽しみや考究すべき問題を見つけ出すこと。そして何より、生まれた土地を愛すること。
一青妙の新著『わたしの台南 「ほんとうの台湾」に出会う旅』(新潮社、2014年8月)にはそんな「老台南人」たち(中国語の「老」には歴史がある、生粋の、といった積極的な意味がある)のひととなりやライフスタイル、人情味に満ちたエピソードや個人史が豊富に記されている。
父から受け継いだ檳榔屋を連日二十時間にも及ぶ労働で営みながら、男手一つで三人の子供を育ててきたマルヤンこと楊永成氏。ある夜、郊外でひらかれた野外ライブを皆で聴きにいったとき、著者の妹の窈さんが携帯を持って会場を離れた。十五分ほどしたころ楊さんは心配でたまらず、糖尿病上がりの身体をひきずって暗闇の中を三十分も探し回り、息をきらせて戻ってきて「あんたの妹がいなくなったぞ」と言った。幸いにして、焦る楊さんの背後から何事もなかったように窈さんが戻ってきた。「無粋な声で愛想のない楊さんだが、あのとき、無事に戻ってきた私の妹をぎゅっと抱きしめ、叱ってくれた姿がまるで父親のようにも見えた」(p.92)という。
台南の港町・安平でカラスミ屋を営む阿祥、小燕夫妻。彼らは冬のあいだだけ昔ながらの製法にのっとって作ったカラスミを売り、春から秋まで仕事をせず陶芸や歌を楽しむ。阿祥は著者にもぼくにもかたくなに「安平腔」と呼ばれる癖の強い台湾語で話す。台湾で最初に発展した町の人間としての自負がそこには少なからずふくまれている。
阿祥や彼の相棒である陶芸家の吳其錚氏、歌手の謝銘祐氏など安平に住む一連のアーティストたちは、陶芸や歌、絵画や文章を通して地元の人間や歴史や文化を記録しつづけている。ぼくは彼らと会うたび、自分の故郷に対する理解も関心もひどく浅薄であることに恥じらいをおぼえる。そばや和紙造り、深大寺、花火大会、水木しげるなどで知られる東京の調布に生まれたぼくだが、そばを打ったことも和紙をすいたこともなく、深大寺が何宗に属するのかさえ知らない。しかし彼らに感化されたことで、自分の故郷を深く知り、できればそこにある諸々の伝統を習得したいとさえこのごろ思うようになってきた。
著者はここ一年あまりのあいだ多忙を縫って東京から台南に通い、驚くべき密度でほうぼうを取材してまわった。第一章は台南グルメの解説にあてられている。この章だけ三段組になっていて、お店の訪問レポートや、台南人でも舌を巻くだろう料理にまつわるうんちくがぎっしり詰まっている。「鱔魚意麵」をめぐる一節を引こう。
店先にはまだ鮮血したたる捌きたての田うなぎが裏返された竹籠の上にたくさん盛られている。少々グロテスクだけれども、鮮度抜群の証明だ。
「田うなぎは27秒以上火を通してはいけない」
こう言いながら、店主の廖さんはその早業をパフォーマンスしてくれる。
炒めたての田うなぎは臭みがなく、プリプリとした食感。そこに甘いタマネギとウスターソースの味がマッチして、唐辛子の辛味も入っている。(p.34)
著者は十一歳まで台湾に住み、母親の作る台湾料理を食べて育った。これについては前著『ママ、ごはんまだ?』(講談社)に詳しい。当時の料理の記憶は今でも五感に染みこんでいる。店や料理の写真がカラー、モノクロ、カラー、モノクロと交互に並んでいるのは、初めて目にする台南の名物と記憶の中の料理とが著者の「台湾料理」の概念のなかで交錯していることを暗示させる。
第二章では人物にスポットがあてられ、前述の楊さんや阿祥なども登場する。本書の目玉といえる部分だ。
第三章では我が身を投げ打つようにして台南の最も深い部分に触れようと試みる著者ならではの印象深い体験が語られている。ロケット弾のような爆竹が乱れ飛ぶ参加には完全防護が必須のクレイジーな祭り「鹽水蜂炮」、乩童(タンキー)と呼ばれる半裸のシャーマンが呪文を唱えて踊り回る道教の儀式、總舖師と呼ばれる料理長が持ち前の腕を競い合う、千数百人もが参加する盛大な宴席「辦桌」などなど。
著者やぼくを含め、台南に愛着をいだき、くりかえし通ったり移住したりする外国人はあとをたたない。さらに台湾人のあいだでも台南は脚光を浴びている。それを端的に表しているのは書店の旅行書コーナーだ。はたしてこの町の何がこうも人をひきつけるのか。著者はいう。
30年前にあったものは存在せず、新しいものばかりで埋め尽くされた台北にいささか失望しかけていたとき、たまたま台南を訪れた。台南は至るところに、私が知っていた街角の風景が点在し、人の温もりがあった。そこで、3冊目の本は、台南という土地を通して、「私にとっての台湾」を描こうと決心したのだった。(p.182)
昔の台湾の様子を知る都市生活者にとって、台南は記憶の中の懐かしい風景にであえる場所である。若者たちにとって、台南は何かに挑戦してみたくなるエネルギッシュな空間でもあろう。また166ページに紹介されているステファンというアメリカ人は、中国語どころか台湾語も流暢に話し、大学院で道教を研究しており「いつか自分も乩童の体験をしてみたい」と語るほど道教文化に傾倒している人物だ。本書では短い紹介のあとに「世の中には変わった人がいるものだ」と書いて締めくくられているが、もっと踏み込んでこの人のことを書いてみたら、この町の新たな一面が見えてくるのではないいか。
ぼくの本『台湾環島 南風のスケッチ』(書肆侃侃房)もそうだが、本書は取り上げている事柄の豊富さゆえに、それぞれに対する考察が字数上の制約を受けすぎている傾向があるので、著者にはぜひここで書ききれなかった部分を別の場で発表してほしい。
台南を訪れる理由は十人十色ながら、誰もが一様に口にするのは「ここに来るとほっとする、気持ちが安らぐ」という言葉である。
この感覚はどこからくるのか。まず、異邦人に対しても親しく接してくれる地元の人々の開かれたメンタリティがあげられる。台南人の心には窓が開いている、とよく感じる。それはここが港町でありつづけてきたことと関係しているはずだ。次に自転車があれば移動にそれほど困らない、生活するに適度な町の規模。やさしい味つけの食べ物。お年寄りがのんびり座っている細い路地にこじんまりとした家々など、いくらでも挙げることができる。
現在の台南ブームはしかし、台湾のほかの地域が昔ながらの容貌を急速に消失していることと、確実に連動している。地面にへばりついて生きるものたちから空をうばい、日光を、風の自然な流れをうばうノッポの建物があちこちに立つようになる日が来ることを、歓迎はできないが避けられもしまい。
一つだけ言えるのは、世の多くの旅行ガイドブックが時間の経過につれて価値を失っていくのに対して、ある時期における人や町の生態を書き留めることに力点が置かれている本書は、この町が移り変わっていくほどに、いっそう価値を増していくだろうということだ。本書は「台湾」への考究心に燃える一個の人物による自分を入れ込んでのフィールドワークの報告であり、二〇一〇年代前半におけるある地方都市の諸相の記録である。
台湾における台南の位置づけを考える上で、フランコ・カッサーノ『南の思想 地中海的思考への誘い』(F. ランベッリ訳、講談社)という本から多くの示唆がえられる。イタリア南部の小都市バーリに住む哲学者である著者は、北部と比較して発展が遅れている南部の思想や生活形態に積極的な評価を与える。
遅さ、矛盾、自由。「南」には近代が忘れた富がある。力ではなく弱さを。所有の自閉のかわりにフロンティアの開放を。ブレーキの壊れた資本主義のかわりにゆったりとした「 適度」を。
「大きいことは良いことだ」といった「速さ」「大きさ」「力」を礼讃する世界の常識に組せず、「遅さ」「小ささ」「弱さ」に意義を見出そうとするこうした議論に、もし共鳴をおぼえるならば、ぜひ本書を読み、台南を訪れ、足を棒にして歩き回り、人々と交流し、「ほっとする」気持ちを共有してほしい。それはあなたが暮らす町への、最良の手土産にもなることだろう。
2014年9月5日 大洞敦史